鉄子と父の出会いの日

「パピヨン鉄子物語 その5」
鉄子と父の出会いの日

さて、パピヨン子犬を探し回ってるうちに
足が痛くなった父。
病院に行って検査をしたのですが
その結果を私たちには正直なことを言いませんでした。
なぜかというと、
お酒とタバコをやめろと医者に言われたからだったのです。

それは
そのときの、診断書やそういった注意書きが
父が亡くなったあとに遺品の中から出てきて
あのときそうだったんだと何年もたってからわかったのでした。

足が痛い⇒タバコと酒やめなくちゃいけない
タバコと酒やめたくない ⇒娘たちに何も報告しない

と勝手に決めた父。

このとき、やめてたらもっと長生きできていたのに。
この当時は私たちはまだ親と子という関係で
父は自分の体のことは自分で決めていたのでした。
この頃から管理してたらよかったなあと思います。

なので父は足が少し痛かろうが
また私と子犬探しに回るようになりました。

病院に行ったのが2001年4月17日
4月18日に結果を聞いたはずが何も言わず。

そして4月20日
私と父はまた池袋へ子犬探しに出かけました。

ひばりが丘の西友とパルコ、
池袋のデパートのペットショップを3軒を回り
お昼ごはんは池袋西武レストランで釜飯を食べました。
そして「今日もパピヨンいなかったね」と
二人でがっくりしながら電車に乗り
東久留米へ。

だけど、父が「そうだ、ひばりが丘で降りて西友で買い物する」というので
コーヒーも飲みたかった私は喫茶店に行こうと
朝も寄ったのですが
再び
ひばりが丘での買い物に付き合いました。

父は料理が得意だったので
西友地下で珍しい食材とか買うのが好きだったんです。
その買い物を終えて
西友の中でコーヒー飲んで。

「ね、もう1回ペットショップ見て帰ろうか」と私が言うと
父が
「パピヨンはおらんじゃろう」と言いながらも
朝も行った8階へ上がったのです。

確か8階の端っこにあるペットショップ。
ガラスのショーケースになった向こうに
小さい子達がたくさんおりました。

その中に、丸まって寝床に敷かれた細くきった白い紙に
埋もれるように
眠る子犬がいました。

朝はいなかった子でした。

耳が茶色で体が真白いその子の説明書きには
「パピヨン メス 2001年3月1日生まれ」
と書かれていたのです。

小さくて小さくてふわふわの毛に
ちょろんとこれまた小さい尻尾がついていました。

父と私は
「いた!!!」と同時に声を上げました。

父と私の様子を見た店員さんがやってきて
「この子は昨日の夜、ここについて
先ほどまで店の奥で遊んでいたのですが
体調もよいので
たった今、ここに置いたばかりの子なのです」
と言うではないですか!!

「抱いてみますか?」と店員さん。

(きたーーーこの台詞!と私は思ったけど)

父は「まだ買うと決めたわけではない!」と
仏頂面で言うのですよ。

店員さんが「抱っこしてみるだけでもいいんですよ」と言う。

すると父は「では、そうしてもらおう」みたいにえばってました。

そして
ガラスの向こうから、その小さい子は出されて
おっかなびっくりの父の腕の中に渡されました。

父は思わず椅子に座り込みました。
落としたらいけないと思ったのでしょう。

座った父の腕の中で
その子は顔をよく見ようと覗き込んだ父の顔を
ペロッとなめ
すぐにそのまま
またスヤスヤと眠ったのでした。

そのときの父の幸せそうな顔は
忘れられません。

なんとも可愛くおとなしそうな様子の子犬でした。

わーかわいいなー
私も抱っこしようと思ったそのとき!

父が座り込んでその子犬を抱いたまま
「この子をください!今日連れて帰りたいんじゃが」と
顔を真っ赤にして
大きい声で言っておりました。
まるで叫んでるみたいに。

店員さんも一度予約して
帰ってから決めていいですよと言ってくれたのに
父は「誰かに連れて行かれたら困る」とか
もう駄々っ子みたいになってました。

私もその子犬のあまりのかわいらしい様子に
もうどこを探してもいなかったパピヨンが
こうやって突然目の前に現れたこと
それも今、私たちが8階に上がってくる直前に
お店のガラスケースに入れられたことを
運命の出会いのように感じていました。

父は興奮状態でお店の人とケージのことやご飯のことを
もう説明聞いてました。

私が「じいちゃん、決めていいの?」と聞くと
「ほらーかわいいだろーテツだよ」と
子供みたいにうれしそうで
もう私もこの子しかいないよねと
父の様子見てほんとに思いました。

父が支払いの段階で
「カード忘れた、お前持ってるか?」と言ったのですが
私もなぜか持っていなくて
父が「タクシーで取ってきてくれ」と
言いました。

私はひばりが丘から東久留米の父の家に行き
カードを持って
また西友へ戻りました。

父はその子犬の為に必要なものを
店員さんに頼んでおりました。
まず、ケージはピンク。
あとキャリーケース。
ご飯、お皿、などなど。

購入が決まった子犬はお店の奥に連れて行かれ
小さな白いダンボールに入れられ
私たちに渡されました。

その後、父がケージなどの荷物を持ち
私が子犬の箱を持って
タクシーに乗り込みました。

その前までぐっすり眠っていた子犬は
箱の中で目覚めたようで
キュンキュン言い始め暴れてました。
私は穴から手を入れて
撫でてやろうとしたら
箱の中からすごい力で顔だけ出したその子は
もうほんとに可愛かったです。

そしてタクシーの中で暴れる子犬に
父が「テツ、静かにしろ」と言うんですよ。

「ねえ、なんでテツなの!?女の子なのに」と聞くと
「もうテツに決めたんだよ」と言うばかり。

「テツって漢字は何なのよ?」と聞くと
「金属の鉄だ」と言うのでした。

私が栗毛色だからマロンちゃん、
毛が白いからミルクちゃん、とか
そういうカタカナの名前にしようといくら言っても
もう父の気持ちは動かず
タクシーの中で
運転手さんにまで
「今、子犬買ってきたんだ。鉄って言う名前なんですよ」と
得意そうに話しかけていました。
運転手さんはやはり「ほー鉄って珍しいですね」と言ってましたが
父が「昔、わたしが飼ってた利口な柴犬がテツって名前だったから
決めたんですよ」としゃべり続けておりました。

私はもう何言っても無駄だなあって
思ったのでした。

そして、この可愛い子犬は女の子なのに「鉄」という名前になったのでした。
ブログでの「鉄子」は
私が女の子なんです!ってわかって欲しくて
子 を付けてあげたのです。

今は、もう「鉄子」って名前が大好きですけどね。
ただ、家では「てつ!」と呼んでいました。

父の家についた子犬は
入れられていた小さい箱から自分で出ました。

とても元気な様子でした。

下の写真がそのときのものです。

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この、鉄子を抱くのも、おっかなびっくりだけど幸せそうな父。

この後、ケージを組み立てたりと
二人で鉄の寝る場所を作りました。

その間、鉄は一人であちこちを
探検するほど好奇心旺盛な様子でした。
ショップではおとなしそうだったけどねー

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そして
父と鉄子が一緒に過ごす初めての夜が来ました。

さーどうなりますやら。

続く。

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鉄子を探す旅

「パピヨン鉄子物語 その4」
鉄子を探す旅

さて、妻を亡くし失意の日々の父が
パピヨンの子犬と暮らすことを決意し
なんとか犬を飼える一軒家も探したまでを
前回までのお話として書きました。

今日はパピヨンの子犬を探したあの日々のお話です。
とにかく一筋縄ではいかない父でした・・・・

家を決めるまで大変だったので
その当時の妹とのメールを読み返すと
「おじいちゃん、しっかりしてほしいよ」とか
「おじいちゃん、また暗くてさー、どうする?」とか
そんなことばかり私たちは書いてました。

ある日の私の妹へのメール。
「爺ちゃんは相変わらず、わがまま言い放題です。
子犬効果を期待します。
みんなに愛されるじいさんになって欲しい。」
・・・・・愛されるじいさんって・・・・??

下記のようなことがあった頃のメールと思います。
 

家を決めて引越し日までもうすぐと言うときに
父がなんだか暗くて、おかしくなりました。
わがままばかり言ったり
すねたりし始めました。
絶対理由があると思って
「ねーどうしたのー?
なんでも言ってよ。言わなきゃわからないでしょ」と
まるで子供を諭す母親みたいな私。

すると・・父が
「あのなーやっぱり引越ししないことにした」と言うんですよ。

「はあーーー????何言ってるのよ」と
私は大慌て。
もう引越しやにも頼んだし
お金も払ってるし
少しばかり荷物も運んでしまったのに。

「なんでよなんでよ」とうるさく聞いでも
「キャンセルする、お金戻らなくてもいいんだ」の
一点張りで・・・

しつこく聞くと
「もう今日は寝るから、」
とか言って寝てしまいました。

困った困った。また欝になったときに戻ってしまったよ。
どうしようと思いました。

翌日、朝から私は父の家に行き(歩いて5分)
尋問開始。
何が何でも理由を聞かなくっちゃ。

しつこい私の尋問に耐え切れず
父がぼそっと
「だってな、雪が降ったら
じいちゃん、家の前の道路の雪かきをする自信がないからだよ」
と言うんですよね・・・・

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はああああ。。。
そんなことかよと、
私はほっとしました。

そして「雪が降ったらうちのみんなで
雪かきもするし、
家の周りの掃除もするしー
毎日必ずじいちゃんの手伝いに行くって言ったじゃないのー」と
再度の説得。

どんどん
「じゃあ、米がなくなったら買ってきてくれるか?」
とか
「じいちゃんが病気になったら子犬、預かってくれたりもしてくれるか?」と
不安な気持ちを吐き出す父でした。

やはり、子犬を飼うことは可愛いし
きっと楽しみだったのでしょうが
やはり実生活のことを考えると
いろんな不安が出てきたのでしょうね。

私が「引っ越すけどじいちゃんを一人でほっとくとかしないのだよ」と
言ってやり、やっとわかったようで
「わかった、引っ越すよ」と
納得して、
やっと久しぶりに笑顔になったのでした。

はーー・・・もうどうなるかと思いました。

そして
私達一家と妹一家で
父の引越しを2001年3月25日に終えることが出来ました。
(鳥海山で生まれたまだ父と会えない鉄子は生後25日目になっていた)

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「コレで落ち着いて、おじいちゃんもがんばってくれる事を、
祈っちゃいます。(お願いしちゃう・・・とも言う。)」

↑ この日の妹からのメールです、今読むと笑えるほど
私達必死でした。

引っ越した日に気づいたのですが
他は申し分ないけど
1階のリビングは南側にあるアパートのせいで
日あたりが少し悪かった。

でもま、もう引っ越しちゃったしね、
2階はすごく日あたりがよかったので
まあ、よいということにしました。

大家さんは偶然にも父と同郷で
亡くなった母の仏壇を見て
お花を届けてくれるような感じのよい方でした。

家の中を片付けるのに毎日私は妹と
通いました。

そしてある程度生活できるようになった数日後から
パピヨンの子犬を探し始めたのでした。

その当時、うちは車も無かったし
ネットで検索もしなかったので
もっぱらペットショップを巡っていました。
その頃、保護わんこをということにも
意識が行っていませんでした。

父と3月30日頃から毎日出かけていきました。
最初はひばりが丘の西友。
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池袋の西武デパート

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池袋東武デパート

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午前から回ってお昼ご飯を一緒に食べて帰るという日々でした。

ペットショップに「パピヨン子犬来たら教えてください」ということも

なぜかしないで毎日歩く日々。

しかし、どこにもパピヨンがいなかったのです。

そしてある日、父が一人で西友に行き

「パピヨンがいた、でも男の子だったよ」と帰ってきました。

父は男の子のおしっこ事情など考えて

家の中で飼う自信がなかったのと

シェルティの花ちゃんが女の子でおとなしかったので

パピヨンの女の子と決めていたのですが

西友に買い物に一人で行って見たその男の子に惹かれていました。

「テツって名前が似合いそうな子だった」とも言っていました。

思えばこの頃から「テツ」という昔飼っていた犬の名前にしたいと

言っていました。

私たちはまさかほんとに「テツ」にするとは思ってなかったけど・・・・

その男の子のことが頭から離れなくなった父は

「少し大きくなってたけど、かしこそうな子だった、

あの子でもいいかなあ」と翌日になって言い始め

「見に行ってみようか」と気になってしょうがない様子。

「じゃあ、行こうか」と

私と父は電車に乗って隣の駅のひばりが丘へ。

父は「男の子でもおとなしかったらいいよな」と

その気になっていた様子でした、

西友のペットショップについてその子を探したんですが

もういませんでした。

その日の午前中に飼い主さんが決まったそうでした。

父・・・ちょっとがっくりきてましたが

「やっぱり女の子がいいからな、

あの子もうちが決まってよかった」と強がっておりました。

その翌日からもPARCOや色々回りました。

新宿まで出た日もあった。

でも、どうしてかパピヨンはいないのでした。

そうこうしてるうちに

4月の半ばを過ぎました。

そして急に父が「足が痛い」と言い始めるのです。

4月17日に父は病院に検査に行く事となりました。
(決して、犬探しで歩きすぎたからではなく
他の原因でした、このことはまた後日明らかに)

父は足が痛くなったことで
また弱気に・・・・

この日の私から妹へのメール
   ↓
《おじいちゃんは足が痛いというので
病院行きをすすめました。
月曜日に複十字病院へ行くといっています。

弱気になって「こんな状態で犬を飼う自信が無い。
飼えなくなったら、皆に迷惑をかけてしまう。
花ちゃんと、その犬が仲良くなれるとも限らない。
お前のマンションは犬を飼えないし。」
などど、ぶつぶつ言っていました。
「皆で協力しながら飼っていこうよ」と励ましましたが
どうなるかなって感じ。

おじいちゃんの気持ちもわかるけどね、
ちょっと、歯がゆい。》

と私のメールもかなり暗くなっていました。

またしても!パピヨンの子犬を飼う話は

立ち消えになりそうな危機を迎えてしまったのでした。(大げさ)

いったいどうなってしまうのか!

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鉄子と父が巡りあえる日はいつ?

112

鉄子もドキドキなんだよ。
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続く

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鉄子動画3本

鉄子の写真を発掘してたら
色々昔の動画が出てきました。

実は、東京にいたころ、
パソコンを買い替えて
データ移動するとき
保存してた写真と動画が
全て消滅するということがありました。

主人が作業中におきた事故だったので
主人は私に怒られると思って
真っ青に。

私は「もういいよー」とは言ったものの
ショックでした。

そんなふうに密かに衝動を受けてる私のことが怖くて
主人が色々調べて
数日かけて写真と動画が戻ってきたのですが
撮影の日にちなど関係なく
バラバラになったファイルが一緒になってしまって。

なので動画がいつ撮ったものかわからなくなったので
着てる服や
首輪などで
あのころかなーと推測して楽しんでいます。

そして今日、見つけたこの動画を
YouTubeにUpしてら
なんと途中に父さぶろーの笑う声が入ってました。
その当時、ブログやってなかったし
父を動画に撮るなんて考えてなかったので
顔は入ってないのですが
父の笑う声を今日、久々に聞いて
うれしかった!!

もっとちゃんと動画を撮ってあげてたら
よかったなあ・・・

これは毛が抜ける鉄子の為に
病院で犬用のビタミン剤をもらっていたのを
あげてるところ。
こんなふうにしてあげて一生懸命取ろうとするのを
父が喜んでいたので
鉄子にがんばってもらっていました。

これは父がいなくなった後かな。
このおもちゃからそう思います。

これも父がいなくなった後。
赤いお花のチャームからそうだなと思います。

お芋をあげてるんですが
がつがつ食べています。
今見ると。。。お箸があぶないよー

おかあさんっ!!

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この写真なんてー
もっと昔だよー
鉄子がZEPPINカレーの空き箱を
ぼろぼろにした日なんだよ!

それにー
鉄子のベッドの回り、殺風景なんだよー。
まだ待遇が悪かった時みたいなんだよ。

おかあさん!これいつか覚えてるー? (鉄子)

うーん・・・写真の日付がおかしくなってるからなあ・・・
でもそのベッドからして
すごい昔だね。
鉄子が6歳くらいだと思うよ!  (母)

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