みなさん、いつも鉄子ファミリーを見守ってくださりありがとうございます。
このような、おばかな一家を応援くださり励ましてくださり
ほんとうにほんとうに感謝しています。
今頃になってしまいましたが
先月26日の引越し荷物出しから佐賀に来るまでを
書いておこうと思います。
よろしかったら読んでやってください。
時は戻って10月26日朝。
前日25日もがんばって最後の荷造りをしたが
終わらず、午前4時まであれこれとダンボールへ。
でも、完全に終わったわけではなかったけど
引越しは朝8時半から午後2時くらいまでかかるって言われてたので
引越しやさんが来てから
運び出しのそばで、ちょろちょろやればいいかなと
楽観して眠ってしまったのでした。
朝、7時前に朦朧と起きる。
外は台風の大雨。
ざーざー雨が降って
びゅーびゅー風が吹いてる。
やはり鉄子ファミリーのお引越しは
台風の直撃にあってしまった。
さすが日ごろの行いのよい鉄子ファミリーよ!
などと感心していたおばか親子。
鉄子のお散歩、朝ごはん済ませ
リビングのテーブルを分解して
8時になったころ
8時半にくるはずの引越しやさんのトラックが!!
来たーーー
うわーーー!
早いよ。
まだできてないんですけどー
ありさんマークの引越しのお兄さんたちが5人。
おとうさんと話し合い数分で
お兄さんたちのすばやい行動がはじまりました。
すごい速さでトラックに荷物が
運ばれていく。
私は鉄子を動揺させないように
引越しの様子を見せないつもりだったのに
そんなこといってられない状態。
鉄子を片手で抱いて
右手で荷物を詰めたり、移動させたり。
鉄子はおりこうに
私にしがみついて静かにしてた。
借りてきた猫状態。
信じられない。
そして前夜、間に合わなかった荷造りも
優しいお兄さんたちがどんどん詰めていってくれる。
下着とか残ってなくてよかった・・・
手伝いに来ると行ってた妹は
台風の雨で遅れてきました。
びしょぬれになって。
引越しのお兄さんたちに聞くと
その日の引越しスケジュールはたてこんでいて
我が家の引越しも3時間以内ですませます!とのこと。
まじで!!のんびりしてられないよ。
わーー大変大変!
荷物には色テープで運び先を分けてしるしがつけてあるけど
つけてないものもあるよー
荷物の間を駈けずり回る鉄子ファミリー。
大騒ぎ。
あれ?
昨晩、鉄子がおしっこしてしまった鉄子のベッドがないよ!
あーーーあ、おにいさんが大事そうにありさんマークのダンボールに
つめてくれちゃったみたいだ。
しっこがきっとダンボールの中で発酵しちゃうかも(笑うしかない)
でも、洗えなくてどうしようってものだったから
やっていただいて大正解!
そんなこんなで、すばらしいお兄さんたちの働きで
あっという間に荷物は2台のトラックに積み終わったのでした。
鉄子をダンボールに入れて
お引越し写真とって遊ぼうと思ってた私だったけど
ぜんぜんそんな時間もなく、
魔法のように
家の中は空っぽになったのです。
広いな、何もないとこんなにひろいんだわー
お昼前には
何もない部屋に集合して
無事荷物を出せたことを喜ぶファミリー。
お祝いといって
ビールを買う。
そして昼間から宴会。
まだこのころ体調がすぐれなかった私は
ごろごろと横になって休憩。
妹に来てもらってよかったと思いました。
妹よ、ありがとう。
結局、26日に飛行機に乗るのはあきらめ
27日の朝の飛行機に乗ることになっていました。
なので何もない家にお布団だけ残して寝ることに。
お布団は佐川さんに玄関の外に出し
もって行ってもらう手はずになっていて
その用意も大変でした。
しかし、
鉄子は荷物がなくなっても
家族が全員いるので動揺もなく
マイペースで遊んで
自分のベッドで就寝。
私たちは残ったごみを仕分けして
お隣さんに頼むことや
翌朝の旅立ちの準備。
27日朝、結局電車で羽田空港に行くことに決めたため
始発、朝5時8分の電車に乗る。
外はまだ真っ暗。
鉄子は数日前の予行演習で
キャリーバッグ(布)も長く入ってられないことが判明していたので
スリングに入れて
入り口の網ですっぽり、
その上からさらに黒いショールかけて
わんことはわからない状態に。
これだと密着だっこ状態なので
鉄子もおとなしくしてました。
ただ、座席に座るとクンクン言い始めるので
私はずっと立ったまま。
昔、にいたんが赤ちゃんのとき
同じだった。
座るとぐずって、立ってゆすると静かにしてたのを
思い出しました。
にいたんの荷物は鉄子のものだらけ。
荷物は28日に佐賀に着くので
当座必要な鉄子用の食器、すりばち、すりこぎまで
にいたんのリュックに入ってます。
途中で必要になるかもとキャリーバッグ(布)もにいたんが持つ。
山手線で高田馬場へ、
そしてさらに乗り換え羽田空港を目指す。
鉄子は時々、クンクンいいそうになるのを
おやつを小さく切って、口に持っていって
機嫌をとりながらなんとか。
結局、羽田まで
私は鉄子を抱っこして
一度も座らず運びました。
あのころ体調が悪かった私でしたが
最後の力を振り絞って
がんばりました。
抗がん剤の副作用でぼろぼろの足のつめが
あの日1日の移動で割れてしまい
足に食い込んでました。
でも、佐賀に行くまではなんとかがんばるって思って
必死だったんですよ。
今思うとその必死さが笑えますが。
おとうさんは鉄子のキャリーケースや鉄子の着替えなどを持たされる。
それと私の大事な一眼レフカメラとレンズも、持たされる。
荷物に入れて運ばれるのがいやでわがまま言いました。
もうすぐ羽田だとちょっと余裕のおとうさん。
そして羽田空港に着くころ夜が明けました。
朝日を電車からながめたのですが
もうすぐ羽田ということですごく感動したのを覚えています。
羽田について、時間がかなりせまっていて
あせってターミナルを間違えそうになった。
で、一度外に出て鉄子におしっこさせて
ヤギミルクを飲ませ、
キャリーケースに入れました。
ちょっと異変を察知して
なかなか入らないので
ささみジャーキーでつって
扉を閉めたのですが
悲痛な泣き声をあげるので
せつなかったです。
でも、なきながら
必死でヤギミルクを飲んでいる鉄子でした。
この日のためにしばらくヤギミルクをあげてなかったので
大好きなヤギミルクにしばらくだまされていました。
そしてとうとう、鉄子を預ける時間。
おしっこさせたりで時間かかって本当にぎりぎりに。
鉄子はキャリーの中から
私たちを見てキャンキャン泣いて呼んでいるのです。
「大丈夫だよ、すぐだからね、後でね」と
私もいつもの感じで声をかけて鉄子を預けましたが
胸が痛かったです。
飛行機の出発時間が迫っていたのに
私のかばんが
荷物検査に引っかかり・・・
「はさみを出してください」といわれて、
そんなもの入れてないと、あせる私。
かばんを引っ掻き回すと・・・あったよ!
もう!!!
鉄子の毛玉を切る先が丸い赤ちゃん用のはさみでした。
いつ入れたのかも覚えてなかったものだ!
あーーー
そんなもので時間がかかって。
荷物検査から
佐賀行きの飛行機のゲートまで走る私たち3人。
私は足がまだ副作用でしびれてるので
走れないのですが
もう、そのときは走りました!
ぜーぜーと心臓が止まりそうでしたよ。
必死こいて
飛行機の座席に座って
もう、すぐに離陸の時間となったのでした。
間に合ってよかった。
そして
飛行機が離陸するときの轟音。
貨物室にいる鉄子の気持ちを考えると
私も生きた心地がせずに
2時間半、鉄子の無事だけを祈り続けました。
どうか何もなく佐賀空港で会えますようにと。
そして!
佐賀空港に着き
私は転がるように荷物受け取り場所へ。
どきどきしながら走りました。
すると!
目の前にわんこが入ったキャリーが2個。
いました!いました!
でも中を見るまで安心できない。
なかでぐったりしてたらどうしよう。
鉄子は置物の人形のようにじっと固まって
ぼうっとしていました。
かわいそうなくらい寂しそうでした。
不安だったんだろうな、
しかたないよ、ひとりであんな貨物室にいれられたんだもの。
大きい音でびっくりしただろうと思うと
ほんとうによくがんばったと胸がいっぱいになり
涙が出ちゃいました。
呆然としてる鉄子に「鉄!」と声かけると
やっと気づいて
中で大騒ぎ、
出して出してと
ワンワン言って、喜んでくれました。
そして
空港の外で涙の再会!
記念すべき鉄子初フライトの日。
佐賀に住む第一目!
27日がその記念日でした。
なによりも鉄子の体に飛行機移動の負担がなく
無事に佐賀に来ることができてよかったと
みなで喜んだ日でした。
そして
佐賀のお義父さん宅に皆で行ったのですが
お義父さんが私たちが来る道の先まで出てくれて
待っていてくれた!その風景がうれしくて忘れられません。
写真を撮らなかったのが残念でたまりません。
東京にいた最後はひどい体調で
寝込むばかりの私でしたが
佐賀に来て
すこしずつ元気になっています。
皆様にはいつもごしんぱいおかけして
本当に申し訳ありません。
また、12月20日は東京のがん研に術後1年6ヶ月の検査のために
上京します。
しばらく手術してくださった主治医のお世話になろうと思っています。
ながながと読んでいただき
ありがとうございました。
愛子