こんばんは。
愛子です。
みなさん、私のことをわが事のように
ご心配くださってほんとうにありがとうございます。
皆様がおっしゃるように
無理はせず、少しずつ前へと思っています。
ブログを書くことは自分の今までの毎日の日課だったので
苦ではないです。
むしろ書きたいことがいっぱいありすぎて
日に何度も更新したいくらいです。
また鉄子の過去の写真を見ることも
今はもう、辛くないです。
亡くなってすぐはやはり見るのが怖かったです。
しかしファイルを開くと
そこには私の大事な鉄子が微笑んでいる。
もう、ここにはいないけど、
そこかしこに鉄子の思い出は存在します。
写真、一枚一枚が大事なものです。
写真を見ることで鉄子をもう一度、育てているような気持ちになれ
落ち着きます。
鉄子の動画など、もうそれはすんごい宝物になりました。
そして、今私を襲う寂寥感・・・
どこで号泣してしまうかわからない状態の苦しさ。
この苦しみを
まだまだずっと生きていたかったはずなのに
突然天国へ行ってしまった鉄子への
供養と考え、受け止めます。
いつかきっと元気になれる日が来るのも
信じています。
だからこの私の苦しみが辛いほど
それと引き換えに
きっと生き続けたかった鉄子の魂は浄化されると・・・
そう思って鉄子のためにがんばります。
だからみなさん、弱音を吐きますが
ここで書くことで楽になってる私なので
どうか心配なさらないでください。
そして、鉄子が私の病気の身代わりになろうとしたと
思ってくださる方もいらっしゃるのですが
それはないので安心してくださいね。
そんなことでしたら私も辛すぎるので・・・
鉄子は素直に自分の思いのままに生きました。
私の気持ちも察してくれるときもありますが
大体において、いつもわがままで甘えん坊でやきもち焼きで
可愛い私の赤ん坊でしたよ。
私の命を削っても救いたかったけど
かないませんでした。
まだまだこんなことを思い続けていますが
鉄子が私に残してくれた遺言のようなものがあります。
私は抗がん剤のときに使った強度のステロイドで
糖尿病、またコレステロールが高くなりました。
食事療法である程度抑えられていましたが
薬を飲んでも数値が下がることはありませんでした。
しかし鉄子が病気になって
唯一の楽しみのお散歩を毎日、長時間付き合うようになったある日
病院の診察で急激に数値が下がったのでした。
医師の話だと散歩が功をなしているとのこと。
鉄子のおかげでした。
なので鉄子がいなくなった今
お散歩しなくなった私は
またあの、悪い状態に戻る可能性が高いのでした。
鉄子が亡くなった翌日、
座り込んでめそめそと何も出来なくなった私を主人が連れ出して
ジョギングシューズを買ってくれました。
その日、つまり鉄子のいなくなった翌日から
私はアパートの前の競技場にあるジョギングコースを歩きました。
悲しみで何も出来なくなった私は
鉄子の遺言のような「おかあさん、歩くんだよ」という言葉で
私は歩き出しました。
あの時、歩きはじめなかったら
細胞が悲しみで腐っていきそうだった。
歩きはじめなかったら前に進めなかった。
夜に歩く私ですが
私の後ろから鉄子がぴょんぴょんついてくる気配を感じ
思わず涙がこぼれ
暗いのをいいことに
ぼろぼろ泣きながら歩いたのでした。
でも、鉄子が一緒に歩いてくれるから。
続けようと思います。
そして歩きながら鉄子を思って泣きます。
いつか涙も出ない日が来ると信じて。
鉄子の遺してくれた私へのメッセージ!
「おかあさん、鉄子と一緒に歩こう」
可愛い声で聞こえてきます。
雨でない日の夜は私は歩き、主人は走ります!
みなさん、私はまだまだ暗いけど
だいじょうぶです。
今日の鉄子のお昼のテーブル。
好きだったちゃんぽんです。
お夜食はクッキーをあげました。
鉄子・・・・まだおうちにいるのなら、何かおかあさんにメッセージを残してね。
しかし残念ながら鉄子の気配はしないのでした。
9月4日の鉄子、
「おかあさん、先導してよ!」って
私を先に歩かせようとしてるところ。
これは元気だった2014年6月の鉄子。
草原を走ってます。
私のほうめがけて走る。
これはその日の動画です。
今日も、鉄子の過去の写真と動画を見て
眠ろうとも思います。
明日の朝、悲しい気持ちで目覚めないように。