鉄子のガン闘病記、最終 11
「鉄子、永遠に」
2015.09.14(月)
この日も鉄子はいつもどおりに元気に目覚め
「ワンワン、お散歩」と言いました。
主人が抱っこでお散歩に行き、
また「よいウンチ、おしっこが出た」と言って帰ってきました。
朝見た様子では
昨日よりも
お口がかなり顎が下がっていて
食べにくそうになっているなと思った。
9月になってから症状の悪化は日に日に
ひどくなっていました。
でも、鉄子は強くて
痛がることも無く、その変化に対応していました。
物理的に食べることが不可能になるという
症状に限りなく近い状態で。
朝は
さつま芋煮を砂糖水で溶かしてどろっとさせたものを
一生懸命なめて食べました。
そして隣の和室はずっとあの布団を敷き詰めた状態にしていたので
そちらに行って鉄子は眠りました。
朝は呼吸も楽そうにしていました。
が、お昼頃、起きてきた鉄子はまたケホケホが始まってました。
またなでてやりました。
その都度なでてあげると鉄子はケホケホもとまって
楽になってました。
しかしその後、散歩に行くというので
主人が抱っこで連れて行くとすぐに帰ってきました。
「ちょっとハーハーが激しい」と。
そのまま鉄子のベッドに降ろすと
鉄子は座ったまましばらく、はーはーと
一度ステロイドの副作用で出たような呼吸をしていました。
私はそのとき、肺にガンが転移したのかもしれないと
思いました。
でもそうだったとしても
もう治療はしないと決めていたのですから
苦しくないようにしてあげることしかできないのだと
わかっていました。
でも、鉄子はそのハーハーが収まると
またお散歩に行きたがるのです。
お堀で倒れてから
ドライブに行くのをやめ
主人の抱っこで近所を巡るというお散歩に変えましたが
鉄子はそれを楽しみにしている様子でした。
主人は鉄子が望むたびに昼でも夜でも
そっと抱っこしてでかけてやるので
鉄子は可愛いわがままで
何度も「お散歩行こ!」と主人を誘っていました。
そのうち主人が
「ハーハーするな、抱っこのお散歩もあまり行かないほうがいいかな」と言っていて
私は
「カートがあったらよかったな、
今からどこかお店に買いに行ったほうが
鉄子が行きたいお散歩に座ったまま連れてってあげるのにな・・・
人間の赤ちゃん用のでもいいかも、、
もしこれから鉄子が寝たきりとかになったときも
カートは必要だな・・・」などとまだ
そんな悠長なことを考えていました。
しかし鉄子のハーハーはそのうち収まって
「何か食べる」と言ってくるくらい元気になったのです。
そのとき、宅急便が来て
それはフェイト母が鉄子のためのものを送ってくれたのですが
それを開けて鉄子も中身をくんくんして
一緒に検品しておりました。
この日、おじいちゃんの用事で主人は1時に車を出すことになっていたのですが
この日のお昼になってじいちゃんから「今日は行かんでよか」と
中止の電話が入りました。
このとき、予定通りに主人が出かけていたら
鉄子の最期を主人は看取れなかったのでした。
その後、主人に鉄子を見ててもらって
私は鉄子が一番食べる確率の高い焼きうどんにしよう、
うどんだうどんだ!と思って
食べやすいように柔らかく作りました。
鉄子は焼きうどんを
小さく切ったものをたくさん食べてくれました。
その後も何か欲しがって膝に手をかけるので
クッキーかな?饅頭かな?と思って
ムーンライトクッキーを砕いてあげると
それも半分食べて、
美味しくて満足したときにする
お手手でお顔を綺麗にする作業をいつものようにしておりました。
その後、鉄子はまたおとうさんのお布団でいつものように
お昼寝をしたのですが
一時間過ぎたころ
起きてきて、
私に寄って来るので
私が「どうしたのかな?」というと
「なでてね」というので
またずっとなでてあげていました。
この写真が鉄子の生きてた時の最期の写真です。
右の顎がわからないように左からの写真。
数日前から、具合が悪いのでもうほとんど写真を撮ってなかったのです。
写真詳細を見ると、9月14日13時5分撮影時間になっています。
このとき、しばらくなでてあげて
お口の周りを拭いて上げて
呼吸は楽で
主人が何してるか見てるときです。
いつもしていた行動でした。
この後、「おとうさん、お仕事だな」ってわかって
また私のほうに向いて
「お首なでてー」とお顔を手に当ててきたので
しばらくなでたのを覚えています。
その後、鉄子はまた主人のほうを見て
ルンルンと言う感じで寄って行って
「おとうさん、鉄子、お散歩行きたい」と訴えたので
主人が行こうとして「じゃ行こうか」と頭を撫でて
お口の周りを拭いてやりました。
そのとき
鉄子は急にふらふらふらと足元がおぼつかなくなり
すぐ側の床に座っていた私の膝の中によろけて
ペタンと崩れるように座って頭を私の体につけ、
私はその様子に動揺して
「鉄!どうしたの!」と言ったように思います。
体を手で支えてやったのですが
鉄子は一瞬のうちに立ち上がって
そのまま、ふらふらしながら立ち尽くし
倒れそうになったので
主人と頭を打たないように手を添えてやると
その手に体を預けるようにして
私が下にあわてて置いたキルティングの上に
鉄子はそのままゆっくりとスローモーションのように
横に倒れました。
それは、とてつもなく長い時間に感じたけど
あとで時計の秒針を見ながら思うと
主人のところでおかしくなって
私のほうへ来て1秒、
立ち上がって1秒
ふらふらとして1秒
3秒で起きたことでした。
そして、そのまま意識を失った鉄子は
目を開いたまま、
大きい息を何度かしながら
少しずつ息が弱くなっていきました。
私は鉄子が倒れたとき、その様子は今までとは違うとわかったので
もう鉄子は蘇生することは無いと思い
「うわー」と号泣してしまい、
動揺で鉄子をなでてあげるしか出来ませんでした。
「だいじょうぶだよー」といつものように言いながら。
主人に「鉄は苦しくないよね?もうこれは意識が無いよね?
さぶろーの最期のときと同じだよね?」と聞きました。
主人は「もう苦しくないよ。」と言いました。
そして主人は
仏壇へ走って私の父さぶろーの写真を持ってきて
鉄子の目の前に置いてやりました。
鉄子の目はもう何も見えていなかったでしょうが
見開いたままで優しい目をしていました。
それはそれは綺麗な目でした。
そのときの鉄子の四肢は
公園の草原を駆けているように動いていて
顔は笑ってるようにしていて
主人が「ああ、さぶろーじいちゃんが迎えに来たんだよ。
鉄は走って行ってるんだ」と
言いました。
その動きは
亡くなるときに起こる現象かもしれないけれど
それを聞いて私は更に号泣しました。
そして鉄子の息が止まってしまった後も
鉄子の心臓は規則正しくしばらく動いていました。
それが止まるまで
主人と泣きながら
ずっとずっと撫でていました。
主人は「鉄、おとうさんもおかあさんも側にいるよ。
よくがんばったね。えらかったね。
ありがとうね、楽しかったね、またいつか会おうな」
と
いっぱい鉄子の耳元で話しかけてやっていました。
私もいっぱい言ってあげたけど
なんていったか
もう頭がおかしくなってて
泣き喚いていたので
どうしても思い出せません。
そしてすべてが終わったのは
きっとですが
1時40分くらいだったと思います。
動揺で時計も見てなかったし
メモも取ってないし。
主人が
「よかった。
鉄は苦しまないで
こんな安らかな逝き方をできた。
ほんとによかったよ。」と言いました。
鉄子はおとうさんとお散歩に行くつもりで
大好きなおとうさんに甘えてる途中で
そのときふわーっと意識が無くなって
そのまま亡くなりました。
またいつものように
ふっと蘇生して
きっと再びお散歩に行くつもりだったんだよね。
最期まで生きる為に食べて
行きたい場所もあったんだよね。
ほんとに強い鉄子だったね。
だけど、私は鉄子は倒れて
しばらく寝たきりになって
下の世話をして
ご飯もシリンジで上げてという
介護の時を経てから亡くなると
おぼろげながら思っていたので
さっきまでご飯も食べて
お散歩に行こうという鉄子が
亡くなってしまうとは思ってもみませんでした。
鉄子は安らかな顔で、
可愛い丸い目を開けたまま
私が敷いたキルティングの上に
横たわっていました。
まるで遊びつかれて、
「にゃはーー
鉄子疲れちゃったよ!」って
横になって笑っているかのようでした。
主人とそっと鉄子のベッドに寝かせてやりました。
その後はよく覚えていません。
ただただ可愛い顔で寝ているので
「このまま剥製にしたい」と言って
主人を困らせました。
そんなことをしたら鉄子の魂が安らかにならないとわかっていながら
この姿を無くしてしまうのが嫌でした。
夕方まで何もしないで
鉄子の側にいました。
(鉄子の為に買ったキルティングと大好きだったフワフワ毛布)
日が暮れる前に鉄子が毎日通った公園に連れて行ってやりました。
うさぎさん、ありがとう。
鳩さん、ありがとう。
猫ちゃん、ありがとう。
多布施川。
ここで泳げるようになったね。
夕陽が沈む前の風景を鉄子に。
鉄子はいつものように
まん丸お目目で「きれいだね」と見てるようでした。
夜になり、明日の火葬の準備を済ませ
私は鉄子を抱えて
朝まで撫でていました。
お寺さんから言われたように
保冷剤でお腹を冷やしてたけど
かわいそうで取りました。
保冷剤で濡れた鉄子の毛の匂いがしてきて
それはシャンプーの後の鉄子の匂いでした。
朝方、少しうつらうつらしたとき
「ワンワン、お散歩」って鉄子が呼んだ気がして
飛び起きたけど
そこには鉄子が静かに眠ってるだけでした。
もう2度と書くことはないと思うので書きますが
そのときは誰にも言わなかったけど
鉄子と一緒の場所に行きたい、
そうするにはどうしたらいいかを
ずっと考えていました。
回りのことが考えられず
何のために生きるのかわからなくなってしまったのでした。
一時の感情でしたが
周囲が心配してくれてるので誰にも言えず
大丈夫だと言い続けて
がんばって言い続けて行くうちにほんとうに大丈夫になりました。
翌日9月15日、鉄子を荼毘に付すために
山奥のお寺へ。
その車の中で膝の上の鉄子を撮りました。
まるで横になったまま
流れる外の景色を眺めてるようで
鉄子の瞳に緑の木々と青い空が映っていました。
最期のお別れのとき。
主人は「鉄、ありがとう。佐賀に一緒に来てくれてありがとう。
これからもずっと一緒だよ」と言っておりました。
鉄子、ありがとうね。
鉄子がいたから、毎日楽しかったよ。
鉄子は虹の橋にも天国にもどこにも行かないで
おかあさんの心の中にずっといてね。
永遠に一緒だよね。
鉄子、やっと鉄子の最後の日を書けたよ。
どんなに強くて、がんばった鉄子かを書きたかった。
応援してくれたみなさんに見てもらいたかった。
がんばったね鉄子。
ありがとう、鉄子。
この写真は犬写真家のTAKAさんに撮影していただいた2014.11.11日の私と鉄子です。
これは私の遺影にもするつもりです。
鉄子は、私の心の中でゆっくりと休んでいます。
目を閉じて横になって
フワフワ毛布の上で。
そして時々、私が呼べば
なーに?おかあさん!って
笑顔で出てきてくれる。
これからもずっと、いつでも一緒なのです。
どこにいても。
私にとって永遠の鉄子になったのです。
鉄子はどこに行ったかと
ずっと悩み続けて
やっとたどり着いた今の私の気持ちです。
ここまできてやっと気持ちが
安らかになりました。
皆様にはご心配をおかけして
ほんとにすみません。
いっぱい励ましてくださってありがとうございました。
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(みなさん、鉄子のこと読んでくださって
ありがとうございました。
闘病記はこれで終わりです。
暗いことを書いてみなさんのお気持ちまで引きずることを
申し訳ないと思いながら
やはり真実悲しい日だったのでそのまま思い出して書きました。
なのでどうかコメントなど気になさらないでください。
やっやっと
少し区切りがついた気がします。
みなさん、辛いのに暗い日記を
鉄子の為に読んでくださったと思います。
ありがとうございました。
愛子)
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