「パピヨン鉄子物語 その1」
鉄子の最初の飼い主、私の父、さぶろーの話です。
父さぶろーは1999年に、妻を病気で亡くしてしまいました。
父と母は恋愛結婚でした。
父さぶろーは母の兄の友人だったので
幼馴染でもありました。
母は鉄子に似た性格で、お転婆で
しっかりもの、ちゃきちゃきとしてて結婚してからは恐妻家の夫婦となり
しかし、父はうれしそうに、お尻にしかれておりました。
母が亡くなったのは
早い紫陽花が咲き始めると言う時期でした。
病床に青い紫陽花を摘んでいってあげた記憶があります。
ずっと病気と闘っていたのですが
最期は家で倒れた後、救急車で病院に運び
その後10日ほど意識がないまま亡くなりました。
父は葬儀やその後の手続き、納骨までは
一所懸命がんばってやっていたと思うのですが
納骨の後に
心にぽっかりと穴があいたようになり、
一人暮らしの寂しさから欝っぽくなってしまいました。
私たち一家が歩いて5分の場所に住んでいたので
毎日様子を見に行ってはいましたが
父は見るからにおかしくなっていきました。
特に雨の日はその気分の落ち込みが激しく
「ちょっと来てくれないか」と電話をしてきていました。
もちろん、すぐに行ってやっていました。
妹一家とうちの家族で一生懸命フォローしましたが
父の気持ちは悪くなるいっぽう。
ちょうどその時期に文芸評論家の江藤淳さんが
奥さんが亡くなったあと自殺されると言う事件があり
父はその影響を強く受けてしまったのでした。
「死にたい」
「もう生きていてもしかたない」というようなことを
本気で言うようになり
マンションだから紐をかける梁が無いとか・・・
私はなだめたり、励ましたり。
心配で、買い物に連れ出したり
電車に乗って青梅や川越など
父の好きな場所に一緒に出かけたりしました。
(しょちゅう父と出かけていた頃、これは秩父だったかな・・・)
あとは父の好きなジグソーパズルを吉祥寺のユザワヤに
たくさん買いに行って
一緒に作ったり。
私が飼ってたセキセイインコのQを父に預けたりもしました。
そして、このときにパピ+ヨンさんに
お渡しして作ってもらったドールハウスを作り始めたのでした。
しかし、父の様子は相変わらずで
そんな時、
妹の家でシェットランドシープドッグを飼い始めました。
その花ちゃんという子が
父に大変なつきました。
この父の笑う顔を見て
私たちは、父に犬を飼う事をすすめたのでした。
父は昔、犬を飼っていたことから
「犬のことはまかせておけ。しつけもちゃんとできるさ」と
自信たっぷりでした。
私たちの勧めで
急に、犬を飼う生活にキラキラとした光り輝く
希望を持ちはじめたのでした。
しかーし!
この父の自信は後に
ガラガラと音を立てて崩れることになるのでした!
ま、私たちもここで父の根拠の無い自信をすっかり
信じてしまったのも問題だったのですけどね。
続く。
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