今日は前から、書く書くといってた私のことを書きますね。
私は運動神経ゼロ、だと思います。
小学校から体育は2でした。
逆上がりもできないし、跳び箱も飛べないし、
ボール運動は自分から顔にボールを受けに行き
鼻血で保健室行きな私でした。
おまけにいつも貧血気味で
朝の朝礼はふらふらと倒れるやつでした。
そんな私はそのまま運動機能は成長せず
中学から体育は1になってしまいました。
しかしなんとか高校にも行けました。
高校の体育の時間はほんとに苦痛でしかありませんでした。
例えばバレーボール。
私のサーブはぜんぜん入りません。
友達は私のサーブのときになると
「あいちゃーん!ふぁいとー!!」って
みんなで声援をかけてくれてました。
高校体育の有名場面でした。
ただ授業のためだけに参加して
みんなに迷惑かけないようにしてました。
ドッジボールなんてもっての外って感じ。
水泳、
高校のプールでおぼれました。
先生に助けられたけど水飲んで死ぬかと思いました。
平泳ぎはどういうわけか30センチも進めないし
クロールで25メートル泳げたことはありません。
なんだかんだいって休んでいました。
さらに体力測定。
ボール投げ!
最長3メートル。
(どういう投げ方しとるんじゃろ・・・)
20代、信用金庫に勤めていたとき
窓口にいたので防犯訓練では
強盗役の人にカラーボール(中に洗い落とせない蛍光塗料はいってるやつ)を
投げる係りでした。
当然!届くはずないでしょ。
2メートル先の道路ではじけて割れました。
強盗は逃げていきました。
もちろん、走るのは超遅いですよ。
小学校からかけっこ、びり。
マラソン、完走するものの
びりでみんなに拍手で迎えられてました。
自転車は直線しか乗れません。
曲がり角は飛び降りて
またちょんちょん、ぴょんって飛び乗るんです。
またいでからこぎ出すってのができません。
どぶや田んぼに自転車のまま落ちたこと数知れず。
いつも怪我してました。
さらに中学生になったとき
運動できないのを克服しよう
自分を変えたいと
卓球ならできるんじゃないかと
まさかの卓球部へ入部。
しかし!その気合もむなしく
1週間で先輩に囲まれ
「やめたほうがいい」とびびらされ
失意の退部。
こんな私なのです。
そしてこれは2013年鉄子がにいたんの教習所通いのときの日記。
↓
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これはね!
前にりあるママさんにいただいた鉄子の車(ダンボール)なんだよ。
お引越しで使ってしまって
字とか書いてあったりガムテープの跡があるけどね。
鉄子は教習所の鬼教官役。
銀ちゃんはにいたん。
(今は教官とは言わないかもですね・・・母)
「あ!減速してくださいねー」と
まだ優しい鬼教官。
「あ!!
前から幼稚園バスが!
避けて!」 あわてる鬼教官。
「わーー反対にハンドル切っちゃった!」 銀
「うわーブレーキーー」半狂乱の鬼教官
「田んぼに落ちるしかない!」鬼教官の判断。
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これは実話なんですよ。
私は数十年前に茨城の田舎の教習所に通ってました。
路上練習のとき、
なぜか!!ふらふらと中央にハンドル切ってしまい(今もどうしてか理解できませんが)
幼稚園バスに正面衝突しそうになって
教官があわててハンドルをがががーとまわして
田んぼに突っ込んだんですよ。
その田んぼはレンコンなどを作る沼のようなやつだったので
泥だらけになった私と教官が
車から出た後、
ずぶずぶと車は前のめりに半分沈んで行ったんです。
これ!ほんとなんですよ。
信じられないでしょうけど・・・・
このあと、教官は私と口をきいてくれなかったです。
しばらくショックで教習所は休みました。
しかし、時間かけてなんとか免許を取れてしまいました。
今でも取れたことが信じられませんが。
そして私はその流れで
自動二輪の教習を受けました。
最初、「なんだ簡単じゃん!」と
気持ちよくコースを回ってました。
しかし、どういうわけか
スピードが上がってきて
ブレーキかけようとして
頭がパニック起こして
ブレーキと
アクセルがわからなくなって・・・
きっとアクセルふかしたんだと思います。
そのまますごいスピードで
コースを暴走。
カーブを曲がれたのが奇跡のよう。
私の暴走に気づいた教官や練習生が大騒ぎ。
「次のカーブの前で左に飛び降りろ!はやくーーー」と教官がマイクで怒鳴り
必死で私は両手を離して、芝生へダイブしました。
よくダイブ出来たと思います・・・・
でもしなかったら大変なことになってましたねー
芝生で倒れこんだ私が見たものは
そのまま無人で暴走して教習所の緑色の網のフェンスにめり込み、
ぶるんぶるんして、ライトもミラーも飛び散ってる破壊されたバイクでした。
気づけばズボンは裂けて膝も手も血だらけ。
ヘルメットはしっかりしてたので
頭は大丈夫だったのは幸いでした。
救急車が呼ばれたけど頭は打ってないし
恥ずかしいし、、立てたので断り
タクシーで近所の病院に行き
レントゲンなど撮りました。
どこも大丈夫だったです。
「この人の担当は誰か!!」ということになって教えた教官が
上司に叱られてました。
車1台とバイク1台を破壊して弁償におびえたのですが
そのとき聞いた話では保険に入ってるから大丈夫だということでした。
しかし、その後
私は免許が取れてしまったのですから
少しの期間、運転しました。
1ヶ月間くらいだったでしょうか。
まあ、大変でしたね。
いろいろと。
脂汗かいて運転してました。
が、ある日!
大きい道路で後ろから来た大型トラックに
接触しそうになって
ぶぶぶぶぶぶーーーって大きいクラクション鳴らされて
家に帰ってから、冷や汗が止まらなくなって寝込んで。
その翌日から体調が悪くなって
駐車場に入れるのも
バックも何も出来なくなり
車に乗ると気持ちが悪くなりました。
病院に行きました。
内科から心療内科に回されて
精神的にも運転は無理だやめといたほうがいいと診断されて
その日から運転は一切しておりません。
私の暗い過去は
このように
とても信じられないような事件が多くあります。
マンションのエレベーターに
3時間も閉じ込められて
そのうちトイレに行きたくなって(普通からトイレ近くてその件でもほかに逸話あり)
でも、マンション中の人が集まってガラス窓越しに私を励ます人たちの中で
どうしようもなくて
私はトイレのことしか考えられなくて。
そういうことでほんとに死にそうになったこともありました。
これは、自衛隊の飛行機事故で東京都下がいっせいに停電になり
信号も止まった日のことで
エレベーターはあちこちで止まり
修理に至急では誰もこれない状態の日でした。
運の悪い私はその事故と同時にエレベーターに乗り込んでしまったのでした。
それも・・・しまむらに安売りのパンツ買いに行くと言う目的で
家を出て自宅のマンションのエレベーターに乗ったのでした。
まだまだスキー場で行方不明とか・・・
私のこんなエピソードはいっぱいありますが・・・
今日はこの辺で。
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はははは。
おかあさんって・・・・
だけど、みなさん、自動車教習所では
鉄子をご指名くださいねー!
ふふふ、
ご指名ってできるのかな?
鬼教官鉄子でしたー!
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佐賀に越してきて、
親戚回りをすると
必ずみんなに
「運転ばせんとね?練習すれば乗れるだろうに」
「自転車ならよかろー?」と
必ず言われます。
しかし、教習所のできごとの話をすると
みんな、「あーそりゃあ、運転したらいけん!」と
激しく同意してくれるのでした。
今は主人の運転の助手席で
ぼーっと景色を眺めるのが好きです。
運転できなくってよかったーって思ってます。
気楽ですものーー!
で、主人も「車から降りてバックの誘導して」なんて
間違っても私には言いませんよ。
全く、信用されてませんから!
でも、この前、しもむら農園のトラクターに乗ったとき
「う・・・動かしたい!」という強い衝動に駆られた危険な私なのでした。
先日のコメントでPUFF&CAPPYのママさんが
「愛子さんがトラクターにのっていた1枚目のお写真胸の所に
鉄子ちゃんを抱っこしているように白く光って見えました。」
って書いてくださいました。
(PUFF&CAPPYのママさんコメントお返事遅くなってすみません)
今見ると、確かに!
白く光ってますね。
鉄子が一緒に乗り込んでてもおかしくないです!
ちょっとうれしいなあ・・・
(おかあさん、しっかりしないといけないよー)
ではでは。長々と私の暗い過去話を読んでいただき
ありがとうございました!
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