鉄子のガン闘病記 1
こんばんは。
色々な事情でコメントのお返事が書けないままですみません。
これから少しずつ鉄子の記録を
ここに書いていきます。
当時、書かなかったことなどです。
少し暗い日記になりますので
辛い方は飛ばしてください。
コメントも申し訳ありませんが
お返事書けないと思うので
ほんとに気にしないでくださいね。
私の気持ちをまとめていくこと
鉄子のブログを少しずつ締めくくっていくことは
私の今の不安状態(ペットロスとも言う)を癒していくと
信じています。
そして、もう鉄子はあの日、息を引き取ったということを
いまだにわかってないんじゃないかと思われる自分に
はっきりと自覚させるために書いていきます。
時々日々のことなど、つれづれに書きながら
ゆっくりいきますね。
今までの鉄子の写真もたくさん載せて行きたいと思います。
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2015年1月
鉄子のあごのしこりに気づいたのは主人でした。
いつも鉄子は主人に抱っこをせがんで
膝に飛び乗っては体を長い時間なでてもらっていました。
私のほうを得意そうに見ながら。
そして
それは2015年分の鉄子カレンダーを全部仕上げて
宛名書きをしていたときのことでした。
「なにか右あごにちいさくて丸いものがある」と
主人が言うのです。
「がんじゃないか」とも言いました。
私は血の気が引きました。
「うそ!」と言いながら
触ると確かに数ミリの丸い感じのものがありました。
私はそのときまで全く気がつきませんでした。
毎日鉄子の写真を撮っていたけど
何の変化もない顔だった。
大きい口を開けた写真にも何も写っていませんでした。
その翌日病院に行きました。
2015、1月21日のことでした。
行く前に主人が
「たとえ、ガンであっても手術はもうしない」と言いました。
私もそれは同じ気持ちでした。
鉄子は私の不安症から今までちょっとでも体重が落ちたとか
ご飯食べないとか下痢とか・・・
主人には大げさだ、大丈夫だろうと言われながらも
病院行っては
いろんな検査してました。
アジソン病の検査もしたことがあります。
その経過で
2010年5月に心雑音があり検査の結果
僧帽弁及び三尖弁閉鎖不全症が見つかって
ずっとエナカルドを飲んでいました。
その心臓病に関しては毎年1回、半日入院の検査もしていて
毎年、少しずつの進行はありました。
佐賀に越すとき飛行機に乗せることを相談したとき
獣医は「今回を最後にしてください」と言われました。
14歳という高齢にくわえ、こんな心臓だったので
全身麻酔は危険であるとわかっていました。
しこりを見つけた翌日の
診察で内臓のエコー、そして全身レントゲン。その際に
特にそのしこりの部分のレントゲンを撮ってもらいました。
胸には影なし。(もしも首のものがガンで進行してれば胸に転移があるかもということで
私が希望して撮ってもらった)
しこりのある部分の歯の根元が黒くなっているが
あごの骨としこりの間にモヤモヤしたものはない。
その部分の組織を取る検査には麻酔が必要。
先生の見解も麻酔は危険であるから避けたいとのことでした。
そのときのレントゲンでは
先生は歯の根が化膿していて
化骨形成を起こしているのではないかという見解でした。
鉄子がこのとき口を大きく開けていたのですが
その部分には異常は見られず、
歯の根っこの炎症を抑える治療を始めました。
でも、私は気持ちの奥では不安を感じていました。
そのときに先生は
もしもあごのガンであれば
顎ごとごっそり切除する方法がある、
しかし、大きい病院に行く必要がある。
そしてそういう手術をすると
鉄子のような小さい子はかなり回復に時間がかかる。
しかし、麻酔が無理であるので
たとえガンであってもその手術は危険すぎる
抗がん剤、放射線治療もあるが副作用に耐えられないかもしれないと
「がんであればこういう治療法です」のような
話も一応してくださいました。
出来上がったカレンダーを前に。
この後、鉄子と一緒に郵便局に出しに行きました。
しもむら農園のいちご、美味しかったね。
さぶろーが買ってくれた赤い花のチャームが壊れて
オレンジのものに切り替えるときの写真。
お花の冠をかぶって。

シャンプー前の鉄子。お風呂が大好きだったね。
これらの写真は病院に行った前後数日のものです。
あごのしこりを見つけた当時
鉄子はまったく何も変わらず
元気でご飯もいっぱい食べて
走り回って
私のブログのモデルさんをして
おやつをもらって、ニコニコと
楽しい日々を普通に送っていました。
これからの鉄子との日々を
毎日を大事にしようと決意した日でした。
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