「パピヨン鉄子物語 その55」
鉄子の肝炎とポーチュラカの思い出
鉄子の下痢がかなり長く続き
心配した父が自分からコスプレをするようになりました。
しかし、良くなったかに思った鉄子の体調はまたおかしくなり
その当時のブログは鉄子の病院のことばかりを
父が心配して書いていました。
そして、鉄子の体調の悪さから
病院でいろいろな検査を行った結果
肝炎であることがわかりました。
その時の父が亡き妻へ思いも込めて
鉄子の病気のことを綴った日記です。
これはブログには完全な形で載せてなかったので
再現してみました。
———————————————–
鉄子は2009.11急性肝炎になった。
その前より下痢が続き、食欲不振などもあり
また生理が長く
子宮蓄膿症や内膜炎などの関係ではないかと思っていたが、
最初の血液検査では出なかったものが
獣医の「少し症状が変わったので再度採血しましょう」との
検査で鉄子は肝炎であることがわかった。
亡き妻は、子供の出産時に大量の出血があり輸血を行った。
その際に肝炎に感染したらしい。
体がだるかったはずだが本来頑張り屋の妻は弱音を吐かずに
長年過してしまい、
肝硬変になったときに歯茎の出血があり
歯医者の指摘で、やっと病気に気づいた。
難病指定も受け治療をし
大きな手術も行い、妻も頑張ったのだが孫が小学6年の時に
意識不明となり病院で亡くなった。まだ65歳だった。
鉄子の病気を知り、また再び妻を思い出す。
妻もよく、肝臓の数値を気にしていた。
そして体がだるいと良く横になっていた。
鉄子も今は同じ状態なんだろう。
(このころ、良く寝ていた鉄子)
何とかして、肝炎の状態をよくしてやろう。
お世話係(愛子のこと)も、一日中、鉄子につきまとい、涙を見たり、
体温が高くないか触ったり、尻をかいだり、体中を点検している。
鉄子はかまってもらえて、喜んでいる。
妻のときももっと早く気づいてやればよかった。
妻は頑張りやで、体がだるいことも自分の怠慢と思うほどの人だった。
天国の妻よ、どうか、鉄子の肝臓が良くなるように見守ってください。
妻は生きていた最後の頃、マンション暮らしでも、ベランダに工夫して
花をたくさん作っていた。
特に夏に咲くポーチュラカが大好きで、茎を途中から摘み
土にさしてどんどん増やした。
赤やピンク、オレンジ、黄、白、たくさんの色が一気に増えた。
ポーチュラカは松葉ボタンに似ているが葉の厚さと形が違い
確か私が最後の仕事としてかかわった大阪花博で人気を博して
よく見かけるようになったと思う。
確かその当時の話でドイツから来た花と記憶があるが
定かではない。
そのポーチュラカは晩年の妻のお気に入りとなり
妻がさして増やしているうちに真っ白なポーチュラカが
いきなりレースを巻きつけた様な八重の花に変化した。
それがたくさん増えて妻はその純白の八重だけのポーチュラカの鉢を作った。
とても美しかった。
妻はそれを勝手に「白雪姫の夢」と名づけ大事にしていた。
しかし、妻が倒れ意識を無くして最期の入院となった間に、
わしの世話が行き届かず枯らしてしまった。
せめて写真だけでも撮って置けばよかった。
でも、妻はきっといまだに天国で白いポーチュラカを
増やし続けている、きっと。
遠い日の妻とポーチュラカの思い出である。
そんな思いを受け継いでお世話係もポーチュラカが好きだ。
この庭のある家に越してから最初に庭に増やした花は
ポーチュラカであった。
生協でたくさんの苗を注文していた。
たくさんの花をつけたポーチュラカ。
鉄子がガラスの向こうに、わしの靴下をくわえて映ってるのが可愛い。
お世話係は庭の手入れは苦手で何でもすぐに枯らすが
このポーチュラカは水さえやっていれば、きれいに咲いてくれる。
わしは時々庭に降りて咲ききった花を摘んで、
亡き妻を思い出すのだった。
————————
ちょっと父が鉄子の病気で感傷的になりすぎて
かっこつけた文章書いてたので
ブログに全部載せなかったんだと思います。
これの短いのを載せていて
全文はパソコンに残っていました。
私もポーチュラカが大好きです。
今はもう植えていないのですけどね。
よそのお家の満開の鉢を見るとうれしくなりますね。
あと父が書いたポーチュラカの説明(花博のくだり)は
ほんとかどうかわかりません、
結構、いい加減なことを書く父だったので。
—–ランキング参加中。よろしくお願いします——-
にほんブログ村