「パピヨン鉄子物語 その45」
母の話を書いた父
父と母は幼馴染からの恋愛結婚でした。
父と母の兄が同級生だったのです。
どうも母の方が先に父のこと好きになって
家に父が遊びに来たとき
早く帰れないように靴を隠していたとか・・・・
また母の母親が亡くなるときに
大学生だった父に「この子を頼みます」と言った。
そしてその病室で婚約した・・・らしい。
でも、ほんとかしらーって
あのいい加減な父を見てて子供である私は
そういうのをすべて疑ってました。
母が生きていた時に
確認したことあるのですが
まあ、確かにそんなこともあったらしいけど
大げさな話にはなってるらしかった。
しかし、母の方が父を先に好きになったという逸話を
父は自慢にして話してましたが
私が物心ついたころには
その立場は逆転。
父は母のお尻にしっかり敷かれる恐妻家となっており
毎日、お酒を飲んで帰っては
母にめっちゃ叱られる父になってました。
でも、父はそんな強くなった母の事が
大好きだったらしい。
そんな父が母を亡くして
鬱になり
鉄子を迎え、
元気になって。
その後、心筋梗塞で倒れてまた鬱。
そしてブログをはじめ
コメントが励みになり
自分のことも書くようになっていきました。
そんな、2009年9月の日記です。
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今日は朝から天気が良い。秋晴れというのだろう。
昔だったら、こんな日は
病気で先に天国へ行ってしまった妻と良く出かけたものだ。
行き先は日帰りがほとんどで玉川上水、野火止用水、あびる野、昭和記念公園、
青梅、飯能、秩父、秋川渓谷、奥多摩、御岳山、高尾山、などなど。
その中でも、今の時期は、昭和記念公園によく行ったものだ。
公園は立川の次の西立川で、降りると出口の目の前。
入り口を入って、左の方から歩いていくのが常だった。
公園の中は広いのでかなり歩く。
途中で水を補給しながら季節の花を見て歩いた。
この公園は季節季節に花が絶えないようにしてあるが
特に今の季節のコスモスの丘が美しい。
その他、パンパスクラブ(西洋ススキ)、彼岸花、ヤマジノホトトギス、
金木犀、ガマズミ、クレオナ、などが見ごろである。
この写真は13年前に妻と二人で出かけたときのもの。
一面に広がるコスモスの中で妻は感嘆の声をあげ
写真をたくさん撮っていた。
この1枚は私が撮ってやったが、とても気に入って
「自分の遺影はこれにしてね」と日ごろ言ってた。
その3年後に帰らぬ人となり、約束通りこの写真を遺影として飾り
親戚縁者には焼き増しして配ったのだった。
今もこの笑った顔を見るとあの日の喜んでいた様子を思い出す。
妻の高校生時代の写真。
結婚して長女(お世話係)が生まれたとき。
——–その日の鉄子の日記———————
おばあちゃんの帽子をかぶって
お洋服も着てみたよ!
そしたら夢におばあちゃんが出てきました。
おばあちゃんが天国に行った後、
寂しくなったじいたんの為に、わたしがやってきたんです!
おばあちゃん、安心してね。
じいたんのお世話はばっちりだよ。
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この帽子は母が大事にしていたものです。
鉄子にとても似合いました。
父はそんな鉄子を目を細めて見ていました。
父は写真を撮るのが好きでしたが
なかなかシャッターを切らない人で・・・・
私たち家族を並ばせて長ーい時間じっとさせるので
母がイライラして「もう!お父さん早く映してよ」ってよく言ってました。
父はそんな感じで母に言われっぱなしでしたが
いつもニコニコ笑って怒り返すことはなかったですね。
このコスモスの写真、母が笑って映ってるので
きっと父が、さっさとシャッターを切ったのだと思います。
コスモスの中で笑った母はこの当時
大きい病気を持っていましたが幸せそうです。
コスモスの季節になると
母と鉄子とを思い出すようになった私です。
この後、鉄子はどんどんへんてこな
コスプレをしていくようになります。
また書いていきますね。
いつも見てくださってありがとうございます。
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