「パピヨン鉄子物語 その42」
舞い上がる父と鉄子
嫌々はじめたブログでしたが
なんとか毎日何かを書くということを
こなしていった父でした。
でも、何故、日記をネット上に書くのか
意味がないのではないかと、
そういうようなことを思っていたらしい。
なので「今日、日記休んでもだれも俺のことを気にもしない」と
よく言ってました。
ところがある日、mixiでの私の友達がコメントを入れてくれました。
確か最初は「ふぅさん」
そしていちごちゃんのママ「べりぃーさん」も「みっこさん」も。
父は驚きました!
自分が書いた日記にコメントが付いたのです。
それにお返事をはじめて書かせたときは
返事をする意味も分からなかったと思います。
でも、とても誇らしげにしておりました。
こんなじいさんにコメントが付いた!
と信じられないほどの興奮ぶりでした。
元気がみなぎったような顔をしておりました。
そんなある日、私の友人二人が
セキセイインコのQちゃんのお墓参りに来てくれたのです。
一人はフェイト母、
もう一人は以前ブログにも書いた猫の富士ちゃんの母です。
↓
http://sabu.tetuko.com/?p=1182
(庭のQのお墓)
父はこのころ、まだ鬱が抜けてない状態。
でも女性二人が来てくれたことでとても楽しそうに会話をしてました。
そして、私はほんとに悪いと思ったのだけど
この二人にお願いしたのです。
「申し訳ないけど、時々でいいので
コメントしてくれない?
父が元気になるんだよ」と。
するとこの心優しい友人たちは「いいよ!」と
快く受けてくれて
ほとんど毎日のように父にコメントを入れてくれたのでした。
それは父が亡くなるまで続きました。
一人は「シロクマ」さんの名前で
一人は「野うさぎ」さんの名前でした。
父はこのお二人が私の友人とは知らずに
見も知らぬ人が自分の記事を読んで
感想を寄せてくれることに喜びを覚えたようでした。
一気に気持ちが充実していった父でした。
友人たちは、義理だけで書いてくれてるのではなく
父のことを思ってくれて
コメントも心から書いてくれていました。
ずっと父のブログの一読者としての感想を寄せてくれてました。
ほんとに私は感謝してました。
父はこのどちらかがコメント書けない日は
「どうしたのかな?病気かな?」なんて心配するくらいでした。
コメントにも「こうしなさい、こうやってみたら」なーんて
ちょっと年長者の感じでお返事したりして
得意そうでした。
このお二人のコメントのおかげで
父は毎日のブログを書くことがとっても楽しみになり
面白い記事を書いて笑ってもらいたい!とまで思うようになったのでした。
そして「自分がブログ書かなかったら二人が心配するだろうなあー」
なんて言ってました。
鉄子も知らなかったでしょー!
その当時、夜になると前日のブログ記事のコメントを読んで
お返事考えていました。
鉄子も一緒に考えてたねー
「どこの人かなー?シロクマさんはこんな人かなー
野うさぎさんはこんな人だろうなーー」とか
よく楽しそうに謎の二人のことを
話していました。
自分の日記を読んでくれて
コメントを毎日くれるこの謎の二人のおかげで
父はブログを書かないと二人が心配するとまで思って
毎日書くようになり
どんどん鬱も治って行ったのでした。
そしてそんな感じで
ブログを書くうちに
今もコメントくださってる方々の
コメントもいただけるようになり
父はますますブログ命!になって行ったのでした。
父が元気になったのも皆様のおかげです。
そして、何を隠そうこのわたくしも
今までたくさんの危機がありましたが
皆様のコメントやメールに救われたのです。
一時、かなり長い間、諸事情でコメントお返事が
書けませんでした。
その間もみなさん、変わりなくブログを読んでくださって・・・
ほんとに皆様、ありがとうございます!
そして父が最期に入院したとき、
野うさぎさんとシロクマさんにお見舞いのお花をもらった父は
看護師さんに得意そうに「ブログのファンの人が送ってくれた」と
話していた時の様子を今も忘れられません。
二人ともありがとうねー
父の心の恩人です。
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