「パピヨン鉄子物語 その26」
小平でみんなで暮らし始めてから
しばらく、鉄子物語が書けなくなって
自分でもどこまで書いたかわからなくなりました。
なのでちょっとまとめ。
2001年、母亡き後、鬱になった父がパピヨン鉄子と暮らし始める。
父はおてんば鉄子に手を焼き、鬱は治るが
毎日鉄子に追い回され、疲れ切る。
そして、鉄子と二人の暮らしに限界を感じ始める。
2002年の終りごろ父の足が悪くなり心配で
同居をすることを決める。
2003年5月 東久留米より小平へ2軒の家を引き払い
広いペット可の家を探し
鉄子と父を引き取る。
こんな感じまで書いたと思います。
これは一緒に暮らし始めて2004年初めの父と鉄子。
笑えない父と、これまた暗い表情の鉄子。
このころ、父は足は少し痛いけれども元気でした。
料理が得意な父は私たちが自宅仕事なので
料理長になって美味しいごはんを作ってくれてました。
(なので、ますます私は料理ができなくなったという・・・)
この私と妹の後ろはキッチンで
父はそこの換気扇の下でタバコを吸ってます。
心筋梗塞で倒れるまでタバコやめませんでした。
この写真も2004年だと思います。
そして、Naokiは引っ越したとき高校1年でした。
ブラバン命の高校生活。
空手もやっていた時期です。
家に帰るのもご飯食べる時間も一番遅いので
鉄子に完全に下の地位だと決められ
ガウガウ言われっぱなしの兄ちゃんでした。
Qちゃんも元気に過ごしていました。
鉄子が1階で過ごし、Qちゃんは2階にお部屋がありました。
鉄子、一緒に暮らすようになったころの写真。
3歳です。
こんなお顔でしたねー
ここからは父が撮った写真。
父はよく一人で日中はお散歩に行き
近所の写真を撮ってきました。
これは遊歩道の桜。
遊歩道の先にあるアジサイ公園。
ちょっと有名らしい喫茶店。
踏切で西武線の電車。
父は鉄子のしつけや、早朝散歩などから解放され
毎日、あちこちにお散歩に行き、
電車に乗って同じ路線にある妹一家の家に遊びに行ったりと楽しく過ごしていました。
タバコを換気扇の下で吸い、晩御飯には毎日ウィスキー水割りを2杯。
鉄子と遊んで、かわいがって、ひざの上に乗せては
なでてやり。
そして、夜、のんびりテレビを見て
本を読んで、
眠くなると鉄子を連れて父のベッドで眠る。
そんなお気楽な日々を過ごしていた父でした。
私は当時、マンション暮らしからお庭のある家に引っ越し
お花を植えるのが面白くて、せっせと花を増やしてました。
長く咲いてくれるパンジーを植えるのが毎年の楽しみでした。
鉄子もお庭で遊ばせてあげたりしたねー
すっごく楽しそうでした。
このお庭もいつのまにか
荒れ果てて。。。。ジャングルになってしまったんですけど。
この当時は庭の手入れが楽しい私でした。
そして、Naoki.2007年大学入学式の日の家族写真です。
あ、Qちゃんがいないけど。
で、わたしが超でぶだけど・・・
そして2008年の父と鉄子。
少し、写真になれてきて表情が柔らくなったような父。
鉄子はまだこのころ、ブログに参加してないんですよ。
なので、笑顔なしの鉄子さんでした。
この1年後くらいから鉄子と父のブログをはじめました。
鉄子物語は家族の物語でもありますので
家族写真もぼかしなしで・・
ぼかしってのが私、にがてなのですよ。
そしてお米も販売しておりますので顔隠すのはしたくないのです。
ほんとは恥ずかしいんですけどね。
なのでお見苦しい点も多々あると思いますがどうかお許しを。
ありのままで行きたいと思います。
次は鉄子が初めて着た洋服や
可愛いワンコのお友達の写真に影響されていく私のことなんかに
続いていきますね。
ではー
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