「パピヨン鉄子物語 その43」
鉄子のはじめてのコスプレ
父と鉄子の最初のころのブログは
父がまず固い話を書き
それを茶化す感じで鉄子の変な話や写真を付け足していました。
父の話だけだと面白くなかったからなんですよー
しかし父は毎日何を書くか一生懸命考えてて
「今日はこんな話書くよ、鉄には何をさせようかなー」とかいうので
私も父のブログ書く気持ちを失せさせないようにと
父が言う内容に合わせて鉄子のストリーとか考えておりました。
このころ、もう父は
「早くあの世に行って、お母さんに会いたい」というような
暗い話をしなくなっていました。
なのでそういう鬱状態に戻らないように
私も一生懸命だったなあって思い出します。
一番最初に鉄子がコスプレのようなものをしたのは
確か、この日でした。
父が
「河童の話を書くから
鉄子を河童にしてくれ」と言ったのです!
えーーー河童かよ!と思いましたね。
なんせその当時はそんなことしたことないし
大体私は工作とか超苦手だったのです。
私はどうしようかなーと考えても
河童は頭にお皿乗っけてる・・・くらいしか思いつかず。
で、家の中をあちこち見て
いろいろ持ってきて
鉄子にお願いして
河童さんになってもらったのでした。
鉄子は毎日のぼろ布巻き付け修行で慣れてるので
まったく嫌がらなかったですねー
これをやって、私も楽しくなって
鉄子のコスプレを続けるようになったのでした。
しかし、しょぼい河童さんですねー
当時のブログのまま載せてみますね。
父は結構、いい加減な人でしたので
ここに書かれてる河童の話は父がただそう思ってたということなので
適当なことが書いてあります。
—————2009.9.23日の父の日記——————————
もともと芥川龍之介の「河童」が好きだった。
しかし、河童のことを研究し始めたのは、
九州に水質官として転勤になって九州の川と付き合いだしてからだ。
特に、筑後川、球磨川、に行くと日本の伝説上の妖怪である河童の話がでてくる。
酒の席では河童の手などのミイラなどを見せてもらったこともある。
水かきが付いていて本物のようであった。
そこで、皆に負けないようにと思って河童について色々と勉強するようになった。
河童については諸説が存在するが
私の調べた結果は下記のようなもの。
河童の発祥の地はメソポタミア平原を流れるチグリス、ユーフラテスの両河川。
インド、中国の、大きな河川には話はない。
が、突然に日本の九州の川に現れ、その親分は福岡県久留米市の水天宮に居たという。
呼び方も色々で、河童は川童(かわわらわ)の変化形というのが一番だ。
その他の呼び名として、がたろう、えんこう、しばてん等が有名だ。
私の子供の頃、海で泳いでいてなかなか上がらないでいると
親に「えんこうに肝抜かれるぞ」とおどかされたものだ。
本当に肝抜かれると思い、慌てて親の元へ戻った思い出がある。
写真の河童は仙台に単身赴任中に購入したもの。
偶然、街中の店先で見つけ、すらりとした姿に惹かれて手に入れた。
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緑の紙袋に穴をあけ前足を通して
背中にはざるを紙袋にテープでとめた超簡単な河童さんです。
頭のお皿だけ適当に作ってひもで顎の下で縛ってます。
一応、カメラ目線してくれてるねー
撮影終わったら、河童さんをひっくり返して
頭のお皿を破壊してました。
この時、父は鉄子が河童になった!と大喜び。

ふふふ、じいたんのために鉄子は
いっぱい頑張ったんだよー
でも、おかあさんのアイデアがしょぼくて
超かっこ悪い河童さんだったねー
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