こんばんは。あいこです。
もうすぐ、さぶろーの命日がやってくる。
その日が近づくにつれて
とても胸が苦しくなってきた。
もう、終ったことなのに
今、起きてることのように
さぶろーが病院で最期の日々を闘っている気がする。
今日も着替えを持って病院に行かなければなどと
思ったりして・・・
庭には、さぶろーが好きだった都忘れが咲いている。
新緑の小道の写真は
生前のさぶろーが撮影したもの。
さぶろーの目を通して
残された風景。
父はもういない。
だけど・・・・
あの帽子をかぶって、
杖もつかずに歩くさぶろーがいて・・・・
私に笑いかける。
そして、
どんどん歩いていく。
「おとうさん!待ってよ!
歩くの早すぎだよー」
私はそう言いながら、
必死で父を追う。
でも追いつけない。
そんな夢を見ました。
あの角を曲がれば・・・・・
そう思って
父が撮影したあの小道へ今日も行ってしまった。
でもいないよね。
そう思いながら歩くと
そこここの角に
さぶろーがいるような気がして
夕方の街を
ひとりあちこち、さまよってしまいました。
—-コメントお返事遅れててごめんなさい(あいこ)
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そうですね。あれから1年・・・
あいこさんにとっては、あっという間の1年だったことと思います。
1年前、さぶろ~さんはもちろんあいこさんご家族はみんなで病気と闘ってありました。
さぶろーさんと歩いた道、行った場所!
何もかも忘れることのできない、何かあるたびに思い出してしまうことと思います。。。
きっと寂しさや悲しみで押しつぶされそうになることもあるかと思いますが、少しずつ・・・穏やかに思い出せる日がくるといいですね。それまでは、焦らずにその時の気持ちを大切にしていただけたらなと思います♪
あいこさん!!ふぁいとでっす(*^_^*)
そうです!ふぁいとです!ね。あいこさん。
あっという間の1年ですが、
まだまだ1年です。
さぶろーさんのご命日が近づくとやっぱり思い出してしまいますよね。
意識しなくても小道の緑の色だとか、風邪の温度とか匂いだとかでふゎっと記憶がよみがえってきたり。。。
そんな時は思い切りさぶろーさんを思い出してあげましょう。
寂しさや悲しさよりも懐かしさが大きくなる日がきっときますよ。
じいたんの都忘れ、可愛いねっ♪
じいたんの事、いっぱいいっぱい思い出して考えて…
今は苦ちい胸の中も、いつかあったかい思い出でいっぱいになるはず♪
苦しくなった時は、鉄姉ちゃんとお空を見上げて”ニコッ”(^-^)
じいたんも奥様と一緒に”ニコッ”と笑って手を振ってるよぉ(=^・^=)
こんにちは。
早いような長いような一年だったのでしょうね。
思い出は時として辛い事も有りますが、楽しい思いでもたくさん有る事と思います。
大切な人を亡くすということは本当に切なく苦しい事ですが、それでもその重い荷物を背負って人は前を向いて歩いて行くしかないのでしょうね。
皆様も書かれていますが、あいこさん、ファイト!です。
さぶろーさんもお母様もきっと側で応援して下さってますよ。
こんにちは、あいこさん。
もう1年になるんですね。
私が鉄子ちゃんのブログにおじゃまするようになった時には既にサブローさんはいらっしゃらなくて、もっと早く出会えたらサブローさんともブログでお話できたのにと思ったもんです。あいこさんには息子さんの就職やら佐賀のご主人のお母様の介護、鉄子ちゃんの手術でバタバタされているこの1年だったのではないですか。少し落ち着かれて改めてサブローさんの存在の大きさを実感されているように思う。私の父親も近くに居ますがあいこさんの様にしてあげれるだろうかと不安です。あいこさんは充分にされたと思うよ。
思い出は大切ですがサブローさんのためにも前を向いて頑張って。応援しているからね。
あいこさん鉄子ちゃんこんにちは。
最近ちょっと忙しくてブログを拝見するのも深夜になり、なかなかコメント出来ずにいましたが…
早いもので1年ですね。
さぶろーさんにはお会いしたこもないのに、何故か自分のおじいちゃんのような親しみを勝手に感じていましたので、あの日が近づいてくると私まで心が痛いです。
…あいこさん、大丈夫ですか?
あいこさんに今もなお愛されてさぶろ~さんは幸せですね。間もなく一年を迎えられるとのことですが四十九日、百か日の頃を思い出すとあいこさんのお気持ちに少しは変化を感じられませんか?ずっと何も変わらないということはおそらくなく年月がたつにつれ堅い心も少しずつはほぐれていくのではないかと思います。ずっと全く同じ悲しみの底に留まり続けるということはないのではないかと私は思います。三回忌、五年、十年と年月がたつにつれ生前の思い出と共に生きるだけでなくさぶろ~さんのあちらの世界での今のあり様を感じ取れる様になるのではないかと私は思っております。きっと今このように言っているのではないかとか、この様に考えているのではないかということもいつも自然に伝わってくる様になると思っております。主人が亡くなり9年がたちましたが今も夫婦として会話ができるような気がしています。