緑の季節の中、決意したこと。

鉄子のガン闘病記 7

「2015年 緑の中で」

4月終わりから
鉄子のためにお散歩重視の日を過ごすことになりました。
折りしも新緑の美しい季節で
その頃の写真フォルダーを開けると緑の中に可愛い野の花が咲き
その中に鉄子がいるという風景がいっぱい。
つい先日のような気がします。

鉄子はこの頃は食欲がなく
もうドッグフードなどとんでもないという状態で
先生から本当は鉄子のがんを増殖させる甘いもの、芋類、炭水化物は
避けたほうがいいんだけど・・・といわれていましたが
鉄子が食べれるものが、そちらに偏っていたので
やむを得ずもう何でも食べれるものは
刺激物以外あげるということにしていました。

この当時はどら焼きとかカツオブシとか、
豆とか芋とか・・・
ほんの少しずつですが食べていました。
でも食べてくれるものを当てるのに
1時間はかかっていて大変でした。

2015.04.23
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車に乗ってお散歩に行くのが大好きになりました。

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公園に着くまでキュンキュン鳴いて「早く!早く」って言ってた。

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まだこの頃は靴下やハンカチを盗んでくわえて逃げてました。

前はこれはいたずらだったけどこの頃は元気の度合いを測るものでした。

 

2015.04.25

お散歩ドライブの途中で偶然行き着いたレンゲ畑。
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この中で家族で遊びました。

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鉄子も気持ちよさそうでした。

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おとうさん!こっちきてーって言ってました。

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思わぬ場所に見つけたレンゲ畑。幸せな日でした。

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2015.04.26からの色々写真。

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鉄子、放牧。

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この頃、走れなくなっていたので

おとうさんに抱っこで走ってもらって。

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鉄子、大喜び。

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野の花の中から

お父さんを見てる鉄子。

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ここで最初に水になれる練習しました。

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2015.05.01
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この頃から草をたくさん食べていました。

草を食べたほうがその後の食欲が増しました。

なので安全な草のある場所に良く行っていました。

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毎日、楽しいお散歩に満ち足りて眠りについていました。

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2015.05.04

ずっと走れなくなっていたのに

靴下で作った即席ボールを追いかけて走れた日。

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私の大好きな写真。

おとうさんの膝の上に座って本を読んでもらってるみたいな鉄子。

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2015.05.07

この日、夜になって鉄子は何度も吐きました。

食事も前日から少なくて心配していたのですが
吐いたものに血がたくさん混じっていて
それを何度も吐き。
少し肉片のようなものもあって動揺しました。

吐いた後はすっきりしたようで
夜はぐっすり寝ていました。
夜中に起きて「お腹すいた」と訴えてきましたが
翌朝病院で診てもらってからと思って
かわいそうだったけど何もあげませんでした。

翌日の朝一で病院に行きました。
胃潰瘍が悪化したとのことでした。

輸液と吐き気止め、止血剤、胃を保護する薬、痛み止め、抗生物質を
注射しました。

下の写真はその病院に行った日の夕方です。

注射で楽になったようで
散歩に行きたがる鉄子を家でじっとさせるのもかわいそうで
心配しながらも連れて行きました。

2015.05.08

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心配したのですが
気持ちよさそうにすごして
お父さんに甘え、
ここでお豆とササミの湯がいたものを食べてくれました。

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翌日.2015.05.09
病院に行く日でした。

鉄子の右顎は急にがくっと下がってきて
歯も口の中で大きくなったがんに押されて
曲がってお口の横に出てきました。
そこから出血が始まりました。
それを拭いて上げるのに触ってもいやがらないので
痛みは感じてないようでした。

4月に先生に今後どのようになるかと聞いたときの説明では
「今後はがんの進行と共に
顎の骨が溶けて外れてきて
物理的に食事ができなくなる、
また
のどのがんが大きくなって、
気道を塞ぎ窒息する、
どちらの症状もが平行して起こってくる、」
ということでした。

そのことを聞いた時点ですでに
鉄子の右顎はかなり変形して
お顔も引っ張られて
すこし細長い感じになってきていました。

(ブログの写真ははっきりわからないものを選んで使ったりしていましたが
今見ると、隠し通せてないのがわかります。
そのときはよい写真を選んだつもりだったけど。)

そして診察を受ける前日の夜・・・・
お顔が変形して食べることに苦労してる様子、
吐いたりしてぐったりと寝る鉄子を見て
顎が両方外れてしまい窒息してしまうというガンでの苦しみを
与えたくない、
延命して無理に命を延ばすことはやめよう、
もう食べれない日に輸液をするのはやめよう、と
主人が言いました。
鉄子の命をあきらめるのではなく
鉄子に苦痛をあたえたくないという気持ちからでした。

そしてこの日、先生に相談しました。
先生は
「この子と同じようなガンの症状で同じことを言われる飼い主さんは
います。
それは飼い主さんが我が子の為に決められたことが
その子のためには一番よいことだということです。

わかりました。
今後は輸液はしないで、この子の生命のなすがままに
任せましょう。
でも辛いことは感じないように苦しまないように
そのつど対応していきますから。
何かあったらすぐに電話ください。」
と言ってくださったのでした。

もう、鉄子が食べない日があっても
輸液をしに走ることはない、
鉄子が輸液をしないことで
生命力をなくしていっても
見守るしかないのだ、と覚悟しました。
でも、それは鉄子のため、
それだけははっきりとしたことなのだ。
私たちが鉄子の命の行方を決めてしまった。
もう後戻りしない、できないんだ。

主人と決意した日となりました。
最後まで後悔はしないと決めました。
鉄子のために、、、
それだけが真実として私たちの
決意の根底にあるものでした。

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病院でその話をした帰り道、
図書館の公園に行きました。

鉄子は
ただ無邪気に
公園で遊ぶ子供たちをうれしそうに見てました。
そして、突然ダッシュして・・・
ボール遊びの親子連れのところに走っていって
仲間に一瞬入れてもらい
ボールを投げてもらいました。

この日からの鉄子の治療は
毎日の抗生物質、2週間ごとの抗生物質注射、
胃薬のみになりました。

そして鉄子はこの後、
顎の症状が進んでしまって
先生が言うようになっていきましたが
皆さんにブログでお見せしていたように元気になって行き
ご飯には苦労したけれど
最後の日まで毎日を楽しく過ごせたのでした。

あのまま食べれない日の輸液を続けていれば
鉄子の命の長さは伸びたと思いますが
ガンは進行し、とてつもない苦しみを与えてしまっていたと思います。

輸液をやめるのはほんとうは
鉄子の命を断ち切ることになると
苦しくてたまらなかった私ですが
今はしかたなかった、
あれでよかったと思っています。

鉄子、がんばってくれてありがとう。
ちゃんと鉄子のために闘病記を書いていくからね。
おかあさんを見守っていてね。

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転院してからの色々な危機

鉄子のガン闘病記 6

「2015年4月 転院してから」

佐賀は残念ながら東京に比べて大きい動物病院がなくて
獣医嫌いの鉄子が慣れていた最初の病院の先生にすべて
診てもらおうと思っていました。

が、私のいきつけ美容院のジュンちゃんが
当時リンパ腫で治療していた病院の話を聞きました。
そこでの抗がん剤治療で効果があったという事を聞き
実際、ジュンちゃんのがんばってる様子を見て
希望を感じそちらの病院にセカンドオピニオンで受診することにしたのでした。

3月31日朝から新しい病院へ。
鉄子は毎度病院を変わるたびに恐怖でパニックを起こすのですが
このとき、この先生と波長が合うのか
触られてもガウっとも言いませんでした。

新しい病院での診断結果
口内、のどの奥のほうにできた癌でした。
あごの小さいしこりは見つけた段階でもう
骨に転移していたでしょうとのこと。
そして舌の裏にもできているとのことでした。
先生は
「年齢的にも心臓病があることからも手術はすすめません。
手術は下あごを全部ごっそり切除する方法となりますが
のどのほうにもあるため不可能です。
そしてこの子の今の心臓には負担が大きくて
術中に亡くなる可能性がある。
メスを入れることで転移が広がることもある。
また術後の辛さは大変なものになり回復にかなりの時間がかかるであろう。
それで回復するという保証もない。
放射線治療も部位の症状を見て効果はないと思われる。
抗がん剤は出来たがんの様子から効果はない、
したとしても副作用が強く出るので体力的に耐えられないでしょう。
しかし、飼い主さんができるだけのことをしたいといわれるなら
山口県のもっと大きい病院を紹介します」
とおっしゃいました。

主人が「もうこの子に辛い思いはさせたくないので
手術はしません。
今後症状として出てくる
苦痛を和らげる治療だけでお願いします。
どういうがんの種類とかの検査もしません」と言いました。

そして主人が大体このような場合はどのくらいの余命かを聞きました。
先生はしばらく考えてから
それはその日から3ヶ月から10ヶ月といわれました。
がんとわかったときに覚悟はしていましたが
やはり聞いてしまうとかなりのショックを受けました。

だけど
聞いても聞かなくても
鉄子の病気がなくなるわけではなかったし・・・
私の場合は聞かないより聞いたほうがよかったと思います。
聞いたことで
毎日をもっと大事にしなくちゃ!と強く思い
いろんなことを考えました。

2015.03.31

治療は前病院の処方を少し変えました。
ステロイド
β―グルカン配合のサプリメント
インターベリー(口の中に塗りつけるもの)
下痢止め
胃腸薬  でした。
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4月の初めはこのお薬で調子よく過ごしました。

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でも、甘えて撫で撫での時間が増えました。

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2015.04.05 佐賀のイベント、さが桜マラソンの応援に行きました。

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カメラを持ってる私を見てくれてる鉄子。

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じいちゃんとお話しする鉄子。

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みんなすごくよい笑顔でした。思い出の日。

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鉄子も興奮して応援。

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帰り道の花壇で。

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桜の花びらがいっぱい落ちて綺麗だったね。

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元気で「もっと歩くよ」と言ってた鉄子でした。

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2015.04.11  佐賀の古木の大楠のパワーをもらいに。

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この頃から夜、私のお布団で一緒に寝ていました。

おしっこも何回もされたけど平気でした。

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朝具合悪く食べない日が出てきて
そのつど輸液(点滴)に通いました。

そして同時期、食事に苦労し始めます。
食事が駄目で好みも変わってチーズとかカステラを食べなくなり
薬を飲ませるのも一苦労でした。

そして
私の乳がん手術後3年目の検査のために
東京に行く日が来てしまい
行くかどうか迷った結果行ってきたのですが
その二日間、主人が鉄子を一人で世話し
食事を食べさせる苦労を身にしみてわかってくれて
私の困った気持ちを理解してくれたのは
ありがたかったです。
やはりあの苦労は体験しないと
本当の気持ちはわからないと思いました。

しかし、私が東京から帰ってきた夜
待っていたかのように
鉄子の具合が悪くなりました。
お腹がすいてるのに食べられないで、
お腹が空腹でぎゅるぎゅると大きい音を立てて
眠ることも出来ないのでした。

また病院に行き、輸液と抗生物質などの注射しました。
その帰りに食べられない鉄子のために
お弁当かって公園へ。

公園だと少し食べたい気持ちになる鉄子でした。

2015.04.16

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体温が高く感じ元気がなく
何も食べれず、ぐったりしてしまったとき
詳しい血液検査をしました。
白血球が異常に跳ね上がり細菌感染を起こしていると
言われ
そのとき、肝臓機能も低下。腎不全の兆候、
血糖値も上昇、CRPも異常に高くなっていました。
あと胃潰瘍の傾向あり。
ここでステロイドは中止。
抗生物質の種類を変えての治療になりましたが
これで食事を全く取らなくなったら
あと1週間か2週間しか持たない状態との診断でした。
落ち込んだ日でした。
でも、そんなことない!と不安を押さえ込み
鉄子の側に付き添いました。

2015.04.17

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2115.04.19
私のお布団で眠って。
少し目に力が戻って。

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いつもここで「お散歩いつ行くのかなー」ってお父さんを見張ってた。
(ここは最後の日もここでお散歩誘ってました)

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先生にこのままだとあと1週間といわれてから
やはり具合悪い日が続きましたが
鉄子は少しずつ食べてくれました。

カツオブシ少しとか小豆煮少しとか、
そんな程度でしたが。

食べない鉄子を大好きな公園に連れて行きました。

2015.04.21

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近所のアスファルトの道のお散歩は歩かなくなっていたのに

ここに来ると

うれしそうにあちこち歩き回り

草を食べたりしました。

でも公園に持っていったお弁当は食べれなかったんだよね。

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だけど。

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おとうさんといっしょに公園に来たことが

ほんとうにうれしくて。

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この日の夜
また食べなければ輸液に行こうと思っていたそのとき
チキンカツの中のお肉をたくさん食べてくれたのでした。

その翌日から
ほんのちょっとずつだけど
お豆やおいもを食べるようになった鉄子。
私たちの願いが届いたことに喜びました。
少なくとも先生が言われた「食べなかったらあと1週間」という
最悪の事態はなくなったのですから。

そして具合が悪くても
大好きな公園に連れて行くことが
鉄子の生命力をよみがえらせることにつながることに
はっきりと気づいた日にもなりました。

この日から鉄子のために夕方の長い時間を
いろんな場所にお散歩に行くようになったのでした。

(しかしこの後も危険は何度もありました、、また次回)

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青い海と空と鉄子と

今日は私のがん治療の病院を
東京の病院から福岡の病院へ
転院する手続きに行ってきました。

朝早く行って
午後まで手続きなどにかかって
遅いお昼ご飯を食べに行きました。

今、NHKでやってるドラマの「いとの森の家」
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/drama/itonomori/
の舞台になってる糸島に行ってきました。

何も調べないでただ、糸島方面の海めがけていき
何も考えず海の見える場所へ曲がると
こんなお店がありました。

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前菜いろいろ。

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えっと・・・

なんだっけな?

鯛のソテーにむずかしい名前の美味しそうなソースがかかってた。

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海辺のレストランの前は

こんなすごく綺麗な砂浜と

真っ青な海でした。

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岩場もあって

探検したくなります。

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見て、これ!と主人が足元を。

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ワンコと飼い主の足跡と

小さな小鳥の足跡。

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これを見て

ずっと前に書いた日記を思い出しました。

いつか鉄子を海に連れて行きたいと思いながら

結局行けなかったんです。

当時、こんな合成画像まで作っていまして。

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そんなこと思い出していたら

白いラブラドールと飼い主のご婦人が

砂浜で遊ぶ姿が遠くに見えました。

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スマホで撮って拡大したのできれいじゃないけど。

海に飛び込んで遊ぶわんちゃんが可愛かったです!

今日は青い海と空と白いワンちゃんに癒されました。

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2015.8月のカレンダーの海と鉄子です。
連れて行ってあげられなかったけど、
今日は海で鉄子のことをいっぱい思い出しました。

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