私の母は、皆に「長府のおばあちゃん」と呼ばれていた。
そして表題の「さぶろーが兄弟の中で一番心配」というのが口癖だった。
私が若い頃は酒が過ぎたのでいつもそれを心配していた。
最後は病気になって20年くらい病院生活をして亡くなった。
畳の部分も有る病室で居心地が良かった。
見舞いに行くといつも老眼鏡を掛けて、トルストイとか、シェイクスピアなどの
文庫本を読んでいた。
活字の大きいのを買ってやろうかといっても、
重いから良い、数が多いほうが良いといっていた。
元気なとき、我が家に来ると家中の本を読みつくし、娘たちの学校の国語の教科書まで読んだ。
私の本好きは母親似なのだろう。
それからコーヒーが大好きで、病院の朝6時の湯が沸くのが待ちどおしかったらしい。
コーヒータイムで目覚めを愉しんでいた。
得意だったことにレース編みが有る。
これは元気なときからの趣味で、子供のピアノに合わせて、葡萄の葉と実の
カバーを編んでもらったことがある。それは見事なものだった。
(昭和49年ごろ、熊本にて。右はさぶろーです。)
それから、夏休みには私たちの宿題に合わせて、小倉の到津の動物園に連れて行ってくれた。
海にも行った。貝や植物や昆虫図鑑など沢山の本を買ってくれた。
それから、母はよくひとりで我が家にやって来た。
親父か長男が迎えに来るまで滞在していた。
これが、母の少旅行の始まりで、
岡山と熊本への転勤には手伝いに来てくれた。
汽車に乗って知らない景色を眺めるのと、駅弁を食べるのが好きだったらしい。
熊本に来たとき具合が悪くなって、下関までつれて帰ったことが有るけど、
具合が悪いので何も食べないだろうと思っていたら
「うな重弁当」が食べたいと言い綺麗に食べたのには驚いた。
そして、よく細長いキセルで刻みタバコを小粋に吸っていた。
桔梗という名のタバコでよく買って送ってやったのが懐かしい。
きっと今も天国で「さぶろーが心配だ」と話しているに違いない。
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鉄子のいたこさん。
遠い天国からさぶろーのお母さんがやってきました。
鉄子さん、お言葉を伝えてください!
鉄子の撮影後の楽しみ。
色んなものをくわえて逃げて追いかけられるのが好き。
今日もがんばった鉄子にご褒美のクリックを!
さぶろー様、こんばんは。
今日はお母様のお話。
お綺麗な方ですね。
粋でハイカラな感じのお母様。
本が大好きだったのですね。
お孫さんの教科書まで読んだお話は笑ってしまいました。
さぶろー様はきっとお母様に似ていらっしゃるのでしょう。
だからいつも心配されていたのだと思います。
鉄いたこさん、なかなかですよ。
うるうるの瞳には説得力ありますね。
撮影後の写真は本来の鉄ちゃんの生き生きしたお顔で
可愛いなって思いました。
お弁当箱、私も似たようなのを持っていた気がします。
野うさぎさん同様に私も綺麗なお母様に感激しました
思い出を読んでる内に自分の父方の祖母を思い出しました
私も祖母に随分可愛がってもらったのに恩返しも出来ず終いでした
それが今一番の心残りです
さぶろー様のお母様のように
年を重ねても素敵な女性でいられるといいなーと思います
おそらく無理ですけど・゜・(~∀~)・゜・。
鉄ちゃんは素敵な貴婦人ぶり。
なりきってますねー
あーーー弁当箱がさらわれてるーーー
鉄ちゃんの歯型がついたかな??
野うさぎさん、今日は。
母のことを褒めて貰って有難う。
ビーズ編みも得意でしたよ。
鉄の変装ですがちょっと母に似ていますね。
弁当箱持っていましたか。
今見るとモダンですね。
母のこと、ありがとう。
かなり個性的は母でした。
おばあさん亡くなったんですね。
思い出してあげるだけでも良いと思いますよ。
弁当箱、鉄は気に入ってしまって今日も欲しがっていましたよ。